第27回十勝文化賞に熊代氏、奨励賞田口氏、特別賞葛西氏
お知らせ
NPO十勝文化会議(林光繁理事長)は12日、第27回(2012年度)十勝文化賞と十勝文化奨励賞、十勝文化特別賞の受賞者を発表した。
文化賞には帯広市の熊代弘法さん(77)が選ばれた。熊代さんは教員だった時代から精力的に絵画制作に取り組み、出身地の鹿追町で「山塊-熊代弘法油彩展」を開くなど、具象画の油彩作品の発表を続けている。
文化奨励賞には帯広ゆかりの作家福永武彦の研究に尽力した田口耕平さん(53)=帯広柏葉高校教諭=、文化特別賞には「源氏物語」全巻を原文通釈した葛西嘉子さん(85)が選ばれた。
表彰式は24日午前11時から北海道ホテルで開かれる。
NPO十勝文化会議の十勝文化賞を受賞した熊代弘法さん、十勝文化奨励賞の田口耕平さん、十勝文化特別賞の葛西嘉子さんにこれまでの足跡を振り返り、受賞の喜びを語ってもらった。(澤村真理子)
十勝文化賞 熊代弘法さん(77)
「自分の表現活動がこの機会に多くの人の目に触れることができればありがたいこと」と控えめに語る。
1935年鹿追町生まれ。北海道学芸大学釧路分校(現道教育大釧路校)卒。3歳のころ満州に渡り、戦後1年たって東京に引き揚げた。東京で身を寄せた叔母の家は戦前に幼稚園を経営し、戦後は画家たちの制作の場として貸していた。野口弥太郎、内田巌、吉岡憲、杢田たけを、本郷新らが集まり、デッサンに加わらせてもらったこともあった。
中学1年の秋に鹿追に戻り、野幌機農高校へ進学。寮生活で農作業や牛の世話をしながら学び、美術部でキャンバスの張り方やデッサン方法を教わった。高校2年の6月、札幌に絵の具を買いに行った店で、有島武郎の「生まれいづる悩み」のモデルになった画家木田金次郎と遭遇した。店主に「この高校生は絵を描くんだよ」と紹介され、一瞥(いちべつ)されたことをよく覚えている。
戦後の満州では数え切れないほどの残虐な事件を目の当たりにした。「そうした出来事が心の中に澱(おり)のようにたまっていった。絵を描きたいというエネルギーになっていったのかも」と話す。
十勝管内の小・中学校で教壇に立つ傍ら絵画制作に取り組み、教職員でつくる荒土美術会の設立に携わった。アトリエの壁にはこれまで手掛けてきた具象画が並び、車に乗せられてさまざまな表情を浮かべる引き揚げ者たちを描いた作品もある。
「戦争の残虐性、不条理は体験した者として常に世に明らかにしていかなければならない。絵は美の追求というけれど、大事なことは自分にとっての真実。真実が伴わなければ心揺さぶる感動はないだろう」と語る。
十勝文化奨励賞 田口耕平さん(53)
帯広ゆかりの作家福永武彦の研究を続け、「福永武彦戦後日記」(2011年、新潮社)「福永武彦新生日記」(12年、同)の発刊に尽力した。「まさに根源的な愛と孤独と死の作家だった」と福永を語る。
1959年釧路管内標茶町生まれ。立命館大卒。帯広柏葉高校に1度目に赴任した20年前、旧職員名簿で福永の名前を発見したのが出会いとなった。
全集や随筆を読み、福永の教え子らへの取材を重ねるうちに少しずつ帯広での暮らしが見えてきた。「帯広時代を抜きに福永は語れない。それがなければほとんどの作品は生まれていなかった」。2004年には論文「『寂代』と『帯広』-『夢の輪』を視座として」で市民文藝佳作賞を受賞。
日記を世に出し研究も一段落。当面は「国語教育の中に文学教育をもう一度ちゃんと位置付けていく」ことに力を注ぐつもりだ。
十勝文化特別賞 葛西嘉子さん(85)
紫式部の「源氏物語」全巻を原文で学び、2009年12月、40年以上をかけて54帖全巻原文通釈が完了した。「会員さんがいるからできたこと。この年になって賞を頂けるのはご褒美かな」と喜ぶ。
1927年台湾生まれ。台南州立台南第一高等女学校卒。女学校時代に10歳上の姉が友人から借りてきた「源氏物語」をこっそり読み、その面白さに夢中になった。終戦後、福島県に引き揚げ、50年に両親と姉夫婦が暮らす北海道へ。
68年に「わかな会」を設立し、月2回の例会で原文の現代語訳だけではなく、平安時代の政治や貴族生活を幅広く学んできた。95年には読書推進運動協議会の全国表彰を受けた。「1000年も前にこんな長い物語ができたのは奇跡。(全巻訳を)『やってみたい』と思う方が出てきたらうれしい。面白いんですよ」と笑顔を見せる。