第1回の花火大会の様子を伝える記事
(1929年8月18日付)
「勝毎花火大会」は1929(昭和4)年、十勝の産業振興をねらいに、初代社長・林豊州が創刊10周年の事業として始めました。「北海道で最初の花火大会を帯広で開催し、地域に明るさをもたらしたい」と商工業者に呼び掛けて実現。当時の十勝毎日新聞記事には、押し寄せた群衆は5万人と記されています。
その後、世相の混乱や第二次世界大戦で開催できない時期もありましたが、中断から21年後の1956(昭和31)年、帯広平原まつりの協賛行事として2代目社長林克己の決断で復活を果たしました。以降、試行錯誤を繰り返し、レーザ光線や音響を取り入れた現代的な花火大会へと年々進化させています。
※「十勝毎日新聞百年史」より一部抜粋
第1回大会
藤森養鯉場を会場に開催され、5万人ほどの観客が楽しんだ大イベントとなった。翌第2回からは現在の十勝川湖畔を会場として開催。
第7回大会
戦争等の影響で中断していたが、帯広市民の強い要望に応える形で、十勝毎日新聞社2代目社長林克己の決断で帯広平和まつり(現平原まつり)の協賛行事として復活。
第40回大会
初めて花火にレーザー光線や音響を組み合わせた画期的なイベントを開催し、全国の花火ファンから反響を集めた。
第53回大会
当時最先端の技術であったデジタルリンクを導入し、照明や音楽とシンクロする、新しいエンターテイメントの形へと発展。
第60回大会
OCTVやインターネット等での実況放送に加え、公式Twitterの開設やUstreamでの生配信を開始。2013年からはニコニコ生放送でも配信。
第64回大会
第1部には打上げエリアを幅800mに広げた視界一杯の花火、第4部は高さ30mの足場を組んで花火を上げる3D花火を実施。
第70回大会
新型コロナウイルスの影響で、3年ぶりの開催。
感染防止対策を徹底し、コロナ禍を乗り越えて復活開催を遂げた。